東日本大震災被災者支援ネットワークちば ボランティアレポート3

期間:2013年7月12日(金)~7月15日(月)

所属団体:生活クラブ虹の街(組織部)

場所:宮城県仙台市周辺、福島県新地町

 

<7/12~7/15作業内容>

1日目:コンテナの洗浄(共生地域創造財団・仙台事務所前)
2日目:新地町の青空市手伝い(新地町広畑地区仮設住宅、作田地区仮設住宅)
3日目:トマトの花・つぼみへの成長剤散布、除草(亘理町・千葉さんの畑)
    コンテナの片付け(共生地域創造財団・仙台事務所前)
4日目:事務所入口の展示品カバー作り(共生地域創造財団・仙台事務所内)
コンテナの洗浄(共生地域創造財団・仙台事務所前)
 
 2013年7月、生活クラブ風の村職員2名とともに、ボランティアに行ってきました。体力や現地の状況など様々なことを考慮していただき、今回の作業自体はハードなものではありませんでしたが、地道だけれど必要な作業は多々あるといった印象でした。また、作業の合間に被災地の現状や被災当時の話を、ボランティアコーディネーターの共生地域創造財団(以下、財団)の方や現地の方々から聞かせていただいたり見させていただくことができたことが、自分にとって一番大きな経験となりました。
 

作業は上記の通りです。見聞きしてきたことについて、少しまとめてみたいと思います。

場所:宮城県仙台市周辺、福島県新地町

 

2日目:新地町仮設住宅での青空市

 初日、長町駅から事務所に行く前に、車で仙台市内最大の仮設住宅、「あすと長町仮設住宅団地」周辺を回ってもらいました。生まれて初めて見る仮設住宅でした。住んでいる方がいるにもかかわらずこのようなことを言うのは、本当に憚られるのですが…「住宅」と言うには正直、違和感を覚えずにはいられませんでした。作業後には、津波の被害の大きかった荒浜へ、名取市を経由して連れて行っていただきました。高速道路を挟んで、被害の大きさがまったく違っていたということが、震災から2年経った今の景色から見てもわかりました。塩害のあった(であろう)田んぼが復旧作業によってある程度復活し稲が植わっているところもあれば、浜に近い地域はまだ、荒れた土地、あちこちに家の土台だけが残っている部分、不自然に数本ずつ残っている海岸線の木々(立ち枯れしているものもある)、このようなものが目立ちました。事務所で震災前と震災後の町並みを上空などから撮影した写真集を見せてもらいましたが、その不自然な風景が平和な町並みであったとは想像できないような、そんな状態でした。

 

3日目:畑を耕す過程ででてきたビニールハウスの骨組みなど

 2日目は、農作業の予定でしたが急遽変更となり、福島県新地町の仮設住宅で毎月行っている青空市のお手伝いをしました。雨がぱらつく中でしたが、1箇所目の広畑仮設では開始時間前にたくさんの人が集まるほどで、販売もにぎわいました。一方、2箇所目の作田仮設では、人の入りは疎らでした。雨が少し強まったことも多少影響しているかもしれませんが、それにしても人の動きが感じられるのは一部のみで、全体的にひっそりとした雰囲気でした。仮設から出て行く人や、職場の関係で入れ替わりが多い棟もあるようです。一口に「仮設住宅」といっても、その現状はすべて同じではないということを垣間見たように思います。コミュニティとして成り立っているのかそうでないのか。一度行っただけではわかりません。作田では、ボランティアの受け入れや対応をしてくださっている地元の女性陣がお昼ご飯を準備してくださり、とてもおいしくボリューム満点で、食べきれなかったことが本当に悔やまれます。

 

3日目:千葉さんのトマト畑

 3日目の農作業のお手伝いでは、作業の合間に農家の千葉さんや高野さんが被災当時のお話をしてくださいました。おそらく当時の生々しい記憶を呼び起こしながら、震災直後に自分や周りの人がどのように過ごしていたのか、どのようなことが役にたったか、といったことを含め話してくださいました。信じられないほどの距離まで津波が到達したことや、避難所で地域住民が身を寄せ合っていたことが、家や船やビニールハウスそして人が津波で流されたことが実際にあったのだというイメージが沸いてきました。その後、亘理町の手仕事プロジェクト「WATALIS」の引地さんのお話を伺いました。震災直後と現在、そしてこれから、仕事の場・交流の場として継続するために、それぞれの段階にあった事業展開を模索されている様子が覗えました。特に現在は、デパートなどで品物を置かせてもらっていた復興支援ブースが閉鎖されるところもあるそうで、継続して品物を置いてもらえるところが少ないと仰っていました。また、着物の仕入れから、新たな商品開発、販売方法についてもアイディアを集めておられました。

 

WATALISの「わたりのふぐろ」。共生地域創造財団の事務所入口にて

私にとって、仙台市に降り立つのも今回が初めてでしたが、震災の復興支援という名目で東北に行くのも初めてでした。自分に何かできることがあれば行きたい、行かなければわからないことがあるはずだという思いはあったものの、日々の生活を過ごしていくことに精一杯で機会を作ることができていませんでした。あの震災によって現実に起こったことを、受け入れたくないという気持ちもどこかにあったのかもしれません。今回の活動によって、復興のために何かができたというよりも、震災によって被災地の人々の生活が本当に大きく変わってしまったということ、復旧が進んでいるところとそうでないところがあるということを確かめることができました。できることがあるのであれば、また機会を作って何か手伝いに行きたいと思いますし、旅行として足を運べるようになったら良いとも思います。時間が経つにつれて震災のことを風化させるのではなく、被災地が復興に向かっているのかどうか、しっかり見つめていきたいです。

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