東日本大震災復興支援ボランティアレポート4

東日本大震災復興支援ボランティア報告書
 
生活クラブ虹の街 
業務部 森田 穣二
 
 
日程:9月20日(金)~9月23日(月)
参加者:虹の街職員 1名
    風の村職員 2名
    組合員のご家族 3名
    一般参加者 1名      計7名
 
作業場所:宮城県亘理郡亘理町吉田浜
 
作業内容:
日にち AM PM
9月20日   加工用トマト収穫後農作業
9月21日 イチゴ定植作業
9月22日 イチゴ定植作業 新知町 畠さんリンゴ農園訪問
9月23日 加工用トマト収穫後農作業  
 
以上の日程と作業内容で、共生地域創造財団を通じて東日本大震災による被災地へ事務局兼、ボランティアとして行ってきました。事前の予定では加工用トマトの収獲作業を予定しておりましたが、今年に至っては7月まで順調に恵まれた天候も、その後は長く続いた雨の影響により昨年の4分の1の収獲量であった為に収獲の作業はすでに終えており、私達の主な作業は、収穫後の加工用トマトの株の抜根や草取り作業、他にイチゴの定植作業のお手伝いをさせて頂きました。
 
 
 

収穫後の加工用トマト畑。右手約1km先に海岸、左手にはイチゴハウス団地が並んでいます。

初日の午後と最終日の午前中に、収獲を終えた加工用トマト畑で草取り作業を行いました。

9月の終わりに差し掛かり、猛暑の8月に比べればだいぶ涼しくなったとはいえ、日中の気温はまだまだ高く、熱中症予防にと財団が用意してくれた保冷材をタオルに包み、それを首に巻き、Tシャツ姿で作業をしましたが、すぐに汗びっしょりになる程の気温でした。
初めて訪れた、加工用トマトの畑のまわりは、見渡す限り草原が広がっている、といった景色でしたが、この地は2年半前の津波が襲うまで、イチゴの栽培ハウスと家屋が立ち並ぶ、東北有数の生産量を誇るイチゴの産地でした。
畑から海の方に目をやると、約一キロ先に海岸があり、工事車両のダンプカーが行き来しているのが見えると同時に、海岸に沿うように長くて白い「壁」が目に入りました。
これは震災を期に建設が始まった、高さ約8mの防波堤が建設されているとのことでした。遠くに見える防波堤を眺めながら、自分の立っているこの畑まで津波が押し寄せたのか、とその時身震いしましたが、実際は津波は海から4km先の内陸部まで達しており、これにより町の6割が浸水したということでした。
震災前、亘理町ではイチゴ農家が251戸ありましたが、そのうち232戸が被災されたそうです。
自分が実際その地に立ってみることで、改めて津波の被害の大きさを感じ取りました。
また、畑から内陸のほうに目をやると、真新しい立派なビニールハウス郡が見えます。
後にここで定植作業をする訳ですが、これは復興予算を投じて町が建設した109棟からなるイチゴ栽培ハウス団地でした。
津波による塩害で以前のようにイチゴの栽培が困難なことから、思考錯誤の末、私達(共生地域創造財団)は農家と方達と一緒に塩分濃度の高い土壌でも栽培可能な加工用トマトの栽培を始めて2年が経った訳ですが、このイチゴ団地の完成により、もう一度この地でイチゴを作る事ができるようになりました。
これまでの様に地下水を使い、苗を直接畑に植える土耕栽培ではなく、塩害の影響のない水道水を使った、土もヤシガラを使い、高設栽培を採用したものです。
「良かった」と思うと同時に、ではどうして農家の方達はイチゴではなく、ここで今もこの畑で加工用トマトの栽培を続けているのか、とふと素朴な疑問が浮かびました。
 

草刈後の畝(うね)

休憩中に共生地域創造財団として常駐されているグリーンコープの村上さんから参加者に向けてお話しをして頂きました。

イチゴハウス団地は、10年以上の生産継続を期待していることから、農家が団地と契約できる条件として、後継者がいる事、そして数年後に買い取る、があるそうです。
この条件に満たなかった農家の多くは、農業を断念せざる得ない状況となったそうです。
そうなるとこれまで農業で収入を得ていた人たちはどうなるのか。
これには、日払いの瓦礫撤去作業や除塩作業に従事することで収入を得ているとのことでした。
しかしこれも需要によって仕事量は変わってきますので次第に収入は減ってきます。
だんだんとこのような状況の人達の多くは、限られた収入の中で生活していく為に、次第に家に篭るようになり、これまであった、農家同士や地域との繋がりが寸断された引きこもり状態に陥ってしまうそうです。
この話を聞いて、イチゴハウス団地でイチゴの栽培が復活する一方で、この畑での栽培を取り組んでいく事は、大きな枠から外れてしまった、元イチゴ農家の方達の収入となって生活の支えになるだけでなく、外にでて畑を耕すことでもう一度、農家同士や地域の人たちとの繋がりを取り戻す事に繋がるものであることが分かりました。
一緒に作業していた、元イチゴ農家だった高齢(と見受けられる)の女性と休憩中にお話しをしましたが、この方も津波で家族を亡くされ、後継者がいないことから農業を諦め、この加工用トマトの栽培を始めるまでは引きこもり状態だったそうです。
今年は天候の影響で収穫量こそ少なかった加工用トマトですが、今ではこの畑の一部を使って、白菜や大根、ニンニクの栽培にもチャレンジしているとのことでした。
 

イチゴハウス団地にて苗の定植作業風景1万6000株の苗

別の日には、イチゴハウス団地でイチゴ栽培を再び取り組み始めている、丸子農園さんの所で苗の定植作業を行いました。

この作業には私たちより一日後に到着した東京からの組合員2人と職員1名も加わり、合計10名のボランティアでハウス一棟、1万6000株の苗を1日半かけて定植しました。
植える時の苗の向きや、ヤシガラに埋める深さの度合いでイチゴの収獲量に影響することから、私たちは初めに丸子さんからの説明を真剣に聞きながら最初はおっかなびっくりといった状態で作業を始めましたが、慣れてくると同時に、早くも参加者同士のチームワークが発揮され、二日間の作業予定でしたが、予定より早く終えることが出来ました。

 

福島県新地町の畠さんリンゴ農園にて昼食

空いた分の半日は、地域共生創造財団の蔵石さんの計らいで、亘理町から車で4、50分程南下し、福島県新地町の生活クラブの組合員でもある畠さんのリンゴ農園を訪問しました。
元々予定はしておりませんでしたので、作業はありませんでしたが、畠さんご家族と一緒に昼食と、美味しいリンゴやすももを頂きながら、震災時の事や今年のリンゴの収獲について等お話を伺う事ができました。ひとまずは先日北上した台風の影響も大きい被害はなかったそうで一安心しました。
 
 

丸子さんと、東京からのメンバー含む参加者と

 

私個人としては、震災があった年に一度ボランティアに参加しましたが、あれから約2年が経ち、支援のあり方は食糧や衣類等の物資を届けるといった緊急的な支援から、今は地域の特性やそこに住む人たちに合せながら、人との繋がりや地域の再生、活性化に向けた支援といった活動にシフトしています。
今回のボランティアを通して印象に残った事は、畑で休憩中に、先に紹介した元イチゴ農家の女性が、用意してくれたスイカを一緒に食べならが何気なく口にされた言葉でした。
「震災前と同じ様に戻ることは出来ない。今も心の中にモヤモヤしたものは正直ある。でも今はとにかく目の前のことを一所懸命やるしか無いと思っている。」
また、グリーンコープの村上さんからは、被災された農家の方がいない所で、私達に「今はこうして加工用トマトの栽培に乗り出したが、先々を考えればまだ順風満帆とは言えない。ボランティアの人達がこうして現地に来ることを止めたら、恐らくまた引きこもってしまう農家も出てくる」と話をされました。
この2つの声を聞いた時に私は、震災後にお会いし、話をしてくれた高橋徳治商店の高橋英雄さんのお話と重なりました。
高橋さんはご自身の仮設住宅に「生きられる(かも知れない)、変えられる(かも知れない)」と貼り紙をしてあると話をされたのを覚えています。
私たちが思う以上に、被災地の方達は、まだまだ希望と同時に不安を抱えながら生きているのだと思います。
村上さんはこう、話しを続けました。「だから、こうしたボランティアが現地に来て一緒に作業をする事はこれからも被災された方たちにとって、忘れられていないという大きな励みや刺激になっている。」
 
最後の晩に、今回のメンバーで懇親会をささやかに行いましたが、事務局として「是非またここに来ましょう、それから今回のボランティアを通じて感じたことや見たこと聞いたことを、帰ったらご家族や友人、職場の方達にも伝えましょう。誰かに伝えることもこれからに繋がる大切な支援のひとつだと思います」と話をさせて頂きました。
 
これからもあの震災によって、谷間におかれた方達や小さくされた方達に向けて、小さくても長い支援を続けていきたいと思います。
 
以上

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