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東日本大震災被災者支援ネットワークちばボランティアレポート

所属団体:生活クラブ虹の街
期間:2012/10/19-22
場所:福島県新地町、宮城県石巻市
今回私は、生活クラブ風の村職員の方2名と支援活動に参加しました。

 1日目はお昼過ぎに仙台の長町に到着し、一度共生地域創造財団の仙台事務所へ行き、そこから車で加美よつばの元農協店舗に保管されている支援物資を、配布会用にトラックへ積み込みました。物資の入ったダンボールは店舗いっぱいに積まれており、急ぎ配布しないと、虫に食われたり痛んでしまうとのことで、物資の量としては充分に足りている様子でした。しかし、中にはもう着られる状態ではないものや、期限の切れてしまっているカイロなど、好意で提供していただいたものとはいえ、被災者の方には渡せないものが見られました。

 

 2日目は、ふくしま単協の青空市と合同の配布会を2箇所の仮設住宅で行ないました。仮設に到着すると、準備の段階から生活クラブふくしまの組合員や自治会の方々がお手伝いをしてくださったことが印象的でした。配布会では30~40名ほどが服や布団、雑貨類を受け取られ、その後、青空市で消費材を買って行かれました。これから段々と寒くなるので、やはり毛布や布団類が喜ばれているようで、「お正月まで、配布会はあと2回あるよね?」と、配布会を心待ちにしている方の声も聞けました。

組合員自らが売り子さんをします。青空市の売り上げが自治会長さんに手渡されていました。

 配布会から本部へ帰る途中、生活クラブ職員が徐染に参加したマルショウ農園と、以前収穫ボランティアに行った亘理町の畑に立ち寄りました。亘理町の畑は既にトマトの収穫が終了し、その後に大根が植わっている部分もありましたが、大半はトマトが植わったまま枯れている状態でした。

 

 3日目は、石巻の雄勝にある仮設住宅で配布会を行ないました。向かう途中、津波で多くの生徒が犠牲になった大川小学校に立ち寄りました。沢山の方が訪れて手を合わせており、大型の観光バスまで停まっていたことに驚きました。献花台に置かれていた震災前の学校の空撮写真から、以前は山に囲まれたのんびりとした学校だったのだろう、ということが伺えましたが、津波に飲まれた当時とほぼ変わっていないと思われる校舎は、とてもそのような場所だったとは思えない光景でした。

この日の配布会場となった雄勝の仮設住宅は小高い山の上にあり、規模は前日の場所に比べ2倍ほどの世帯数でした。「知り合いに聞いた」と、少し離れた場所からわざわざ車でいらっしゃる方も見られ、1時間で50~60名ほどの方々が物資を受け取っていました。こちらでもやはり毛布類が喜ばれており、他にも下着、靴下などの消耗品を持っていかれる方が目立ちました。震災から一定期間が経ち、必要とする物資も変化してきているのが現状で、洋服類は今はあまり必要とする人がいないそうです。

本部までの帰り途中、女川で布ぞうりを作成して販売している「女川高白浜草履組合」に立ち寄り、手仕事で作っている布草履や、全国から寄せられたメッセージ入りのパッチワークを見せて頂きました。

 

 最終日は2日間の配布会の反省を受け、支援物資の中身の仕分けを行ないました。カビが生えてしまっているものや、今の時代に着るとは思えないものなどを除け、配布会場での効率を上げるための作業でした。時間と人手があれば、この作業を行うことで被災者の方々の必要としているものを素早く届ける事が出来るのではないかと思いました。


 
 4日間を通し、たくさんの方とお話しをする事が出来ましたが、やはり亘理の畑で感じたのと同様、皆さんとても元気で明るく、何よりもパワフルだということが印象的でした。その事が、こちらが一方的に何かするのではなく、一緒になって復興に向かって活動していく事が何よりも大切であるという事を強く感じさせてくれました。
また、私たちのように単発で入れ替わり立ち替わり色々な人が支援に行く事は、多くの人が現地を実際に見て感じる、という意味では良いのかもしれません。しかし、作業の何も分からない私たちに1から教えてくださる方の労力に対し、私たちはどれだけの力になれたのか・・・というのは少し疑問でした。出来れば、一度行った人がまた個人的にでもボランティアに参加すれば、少しずつ力になれるようになるのではないかな、と思いました。


 


 

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